【愛と束縛の違い】親の立場・子ども立場・自分の気持ちとうまく向き合う方法
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人は生まれ持った要素だけではなく、育った環境によって人格が大きく変化します。

また『三つ子の魂百まで』というように、子どもの頃の育てられ方が性格形成に影響します。

その上、子どもが親や周囲の人から注がれた愛情は、本人の人生における愛情に対する考え方に大きく影響を与えます。

今回は【親の束縛】について、両親からそのような愛情を受けて育った私自身の実体験を交えて、説明します。

束縛を受け続けた私

私はある一家の次女として生まれました。家族は、両親と姉と私の4人でした。

  • 娘たちを心配する余りに、親の傍から片時も離そうとしない、大変厳格で頑固な父
  • 子どもを自身の考えで伸び伸びと行動させる、温厚な性格の母

教育方針の違う両親に育てられましたが、我が家では父の方針が優先されていました。

例えば、仕事から帰宅した父が、私が転んで怪我をしていると知ったら、母は手を上げられ叱られていたそうです。

決まった公園でしか遊べない束縛

幼稚園はもちろん・小学生低学年の間は、友達同士で出掛けることは一切禁止されていました。

行ってもいい唯一の場所は、自宅の前の公園だけ。もちろん、母が時々様子を見にきていました。

小学校高学年になって、1駅先の自転車で約15分の公園へ遊びに行くと言っても、母から許しは出ませんでした。「お父さんが知ったら心配するから・・・。」と。

実は、父は仕事の合間をぬって「娘は大丈夫か?」と、常に家に電話をしてきていたのです。

少しきゅうくつそうな家庭だな、とお思いになるかもしれませんね。

ですが、時々母は父に内緒で別の公園へ行かせてくれたこともありました。

それに、母は「お友達をお家に連れておいで。」と許可してくれたので、友達を連れて帰ったこともあります。母は友達を歓迎し、優しくもてなしてくれました。

これは父も同じです。父は、家族でのレジャーに「仲の良い友達を誘えば?」と許可してくれました。

おかげで、遊園地や海水浴などには、必ず数人の友達を一緒に連れて行ってくれ、私は楽しい時間をたくさん作れました。

そのため、子ども時代に家族で遊びや食事に行くときは、私と姉の友達が最低でも4人は一緒にいました。

今思えば、毎回そのような事ができるのは、経済的な余裕があったからこそだと思います。

ですが、当時私は幼いからこそ『束縛している代償なのだろう。』と簡単に考えていました。

親の束縛によって減る友人

中学生・高校生となっても、両親の束縛は一向に収まりませんでした。

年齢に合わせて多少は緩やかになりましたが、中学時代の門限は18時。

高校生になっても、門限は19時まで。父の帰宅が18時だったので、19時10分に帰宅しただけでも軽く叱られていました。

実のところ、私は次女ということで多少は甘く見てもらえていました。ですが、姉は1分遅刻するごとに10分門限を短縮されていました。

なので、姉はとうとう、学校から帰ってもどこにも遊びに行けないという状態に陥りました。

姉も、多少多めに見てもらった私も、当然友達付き合いが悪くなるので、どんどん友人が減りました。

「どうせあの子は誘っても、親から束縛されていて来られないから。」

両親は『上辺だけの付き合いの友人ならいらない。』という考えでした。私にも徐々にその考え方が浸透していき、現在に至ります。

束縛が愛であると気づいた時

高校2年生の頃、私は22時に自宅前にある自動販売機へジュースを買いに行こうとしました。

すると「玄関の前で殺される人間もいるのを、お前はわかってるのか!?」と、父が凄い剣幕で怒鳴ったのです。

『あぁ。父はそこまで心配する程、私の事を愛してくれているのか。』と何故かその瞬間、それまでの束縛の意味がわかった気がしたのです。

もちろん若い頃なので、反抗する気持ちがなかったわけではありません。

ですがその時、ずっと抱いていた束縛への嫌悪感から、スッと解き放たれたのです。

こちらで、お話している価値観の違いに気がついた女性と同じ体験です。(価値観よりも大切なことってある?ハッとして思わず逆転した経験

親の愛を受け入れると楽になれる

その後、私は高卒で就職しました。20歳の頃には仕事の付き合いなどもあり、夜の外出が多くなりました。

ですが、もう20歳になるというのに、0時には帰宅しなければいけないと父に言われ、まるでシンデレラ状態でした。

もちろん、その束縛に対し多少の反感はありました。しかし、親の愛を感じ受け入れたことで、ほんの少しは楽になれました。

『愛を受け入れる。』ってこういう事なんだなと感じたのです。

子どもの頃は、ただ束縛したがる親だ・子どもを自分の思い通りにしたいだけの親の勝手だ、としか思っていませんでした。

今となっては、お金のかかる遊びや食事でフォローして自分を満足されてくれていたのは、【束縛の代償】だという考えていたことを、大変恥ずかしく思います。

愛がなければ、友人何人も同時に遊びに連れて行くなどできません。一般的に考えて、なかなか毎回できるものではないことです。それを両親がし続けてくれたのは、我が子が喜ぶからこそに他なりません。

その後、結婚し子ども産むと、父の束縛は孫にまで及ぶことになりましたが、それも愛あっての事だと考えられるようになりました。

子どもを束縛してしまうという愛情表現

やはり自分が育ってきた環境もあってか、私も両親と同じように子どもへの愛情表現が束縛となって表れることがありました。

自分の愛する子どもが何か災難に遭っていないかと、ただただ心配だったからです。

決して束縛し、子どもを思うまま縛り付けておきたいと考えていたわけではありません。愛あっての想いだったのです。

ですので私は、自分の子供に二つの事をお願いしていました。

  • 「ママは、自分が束縛されてきたから、あなたが束縛されて感じる辛さはよくわかる。でも、どうしようもない気持ちだってあるの。ママも頑張って譲歩するから、あなたも少しでいいからママの愛情を理解して欲しい。」
  • 「おじいちゃんは、あなたを心から愛してくれているんだと考えて、ほんの少しだけでもいいから、言うことを聞いてあげて。」

一方で、私には母の教えも刻まれています。私が、子どもに自分自身の判断力を養ってもらいたいと考えるのは、きっと母の想いなのだと思っています。

父は、自分の娘が心配で毎日電話をかけてきたように、孫が気になる余り、我が家に毎日電話をかけてきていました。

そんな時、私は父に「今日は塾。」「今日はもう寝てるよ。」と言いつつ、子供には「門限はなしだけど自分で考えて帰っておいで。」と伝えていました。もちろん、心配の感情を必死で抑えていました。

束縛することだけが愛ではない。

【可愛い子には旅をさせよ。】【若い時の苦労は買ってでもせよ。】と言うように、子どもには、自分自身で何かを切り開き、しっかりした大人へ成長してほしい、と願っていたからです。

愛 故に束縛し苦しむ親

【愛と束縛の違い】親の立場・子ども立場・自分の気持ちとうまく向き合う方法

ですが、やはり我が子の帰宅が遅いと、当然ながらとても心配します。

つい、ニュースで見る事件のような災難まで想像してしまうのです。

親は様々な想いが駆け巡っています。

  • 一切束縛せず、好きにさせている場合は、外出している子どもに『何かあったらどうしよう。』という心配で、やきもきする。
  • 心配しすぎて『子どもを束縛しておきたい。』という【欲】を抑えられていない自身に対しては、内心では『何故自分は、もっと子どもの好きなようにさせてやれないのだろうか。』という自問自答を繰り返す。

どちらも、子どものことを考えるが故の気持ちです。理想と心配事の板ばさみです。

ですが、結局は束縛してもしなくても、どちらも同じ事なのです。

それとどう向き合っていくのか、親であれば子どもが束縛を嫌がる気持ちを考える、子であれば親が束縛する意味を考える。

その中にある【愛を受け入れる。】それだけで、少し違った考えが持てるようになるのではないでしょうか。
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