スポンサーリンク

昨年2月、川崎の河川敷で中学1年男子が殺害された事件の裁判が横浜地裁で19日に行われました。被告は驚きの無罪を主張。今回の事件に関しては3人が起訴されましたが、起訴内容を否認したのはこの少年が初。判決は6月3日に言い渡されるようですが、無罪主張という事でインターネット上では軽く「騒ぎ」になっています。
それもそのはず、前途有望な13歳の少年を19歳の少年が殺害する。しかも悪ノリからのもので、集団心理も働いたのでしょう。
反省しているのであれば無罪ではなく、罪を認めろと思うのも良く分かるのですが、なぜ無罪を主張したのか。その点を雑学を踏まえつつ、考えてみるとしましょう。

基本的に、「証拠」が大切になる

心情面を考えたら無罪を主張するのは「けしからん」と思うのもよく分かる話ですが、裁判戦略として考えた時、被告の殺意等を立証するのは難しいのも事実です。
ましてや犯行現場の映像等など残っている訳がありません。このように言っては申し訳ありませんが「死人に口なし」という言葉もあるように、どのような事が行われていたのかは、証言から推察するしかないのです。
被告が「やっていない」といえば、検察としては「やった」とする証拠を集めなければならないのです。証言はもちろんですが、物的な証拠が必要になるでしょう。
弁護士側としてもそのような点は熟知していますので、もしかしたら無罪を勝ち取る事が出来るかもしれないと判断した上での裁判戦略なのでしょう。
運が良ければ無罪を得られるかもしれないですし、仮に罪状が決まったとしても、元々そうなる予定だったのです。損をするとかではない以上、人情としては受け入れるのは難しいかもしれませんが、裁判戦略としては分からなくはありません。

認めた所で無罪にはならない

仮にですが、「その通りです」と認めた所で無罪にはなりません。少年がよほど刑務所に入りたくなかったのか、弁護士が裁判戦略としてそのような知恵を与えたのかは定かではありませんが、罪を認め、反省していると告げても減刑される事はあっても刑務所に入る点は阻止出来ないでしょう。
ですが無罪を主張し、検察側が「関係ない」とする主張を覆せる何かを用意出来なければ無罪になる可能性が出てくるのです。
反省しているかしていないかではなく、裁判戦略としてはこのような主張は分からないものではありません。

スポンサーリンク

気持ちもよく分かるのですが…

被告が無罪を主張した事で、SNS等では非難の声が高まっているのですが、裁判戦略も様々です。
被告と弁護士の間でどのような会話が繰り広げられたのかは分かりません。被告側が刑務所に入りたくないと言ったのか、あるいは弁護士が方法はあると持ちかけたのかは定かではありません。
ですが、裁判戦略としては今回の主張は決しておかしなものではありません。
例えばこれが野々村元議員のように裁判に出廷しないとなると話は別です。「何をしているんだ」という話になるのですが、裁判に出廷し、そこで与えられた権利を行使しているだけですので、心情面としては「え?反省していないの?」という思いも良く分かります。
筆者としてもどちらかといえばそのような心境なのですが、無罪を主張した被告が裁判の場でルール違反している訳ではないのも事実です。
釈然としない部分があるとすれば、被告よりもむしろ今日の我が国の裁判という制度。ひいては少年法という制度に対してのものなのかもしれません。

まだ罪状が確定された訳ではありませんが、今後どうなるのか注目している人も多いのではないでしょうか。

スポンサーリンク