
優しさを求める人間
私たちは「優しさ」という言葉をよく使用します。
- あの人は優しい人だ。
- 優しさを持つ心の温かな人が好き。
- 常に人に優しさを持てるような人間になりたい。
これらの「優しさ」という言葉を聞いて、多くの方が何の違和感も感じることはありません。
全ての人が、「誰かに優しくされたい。」「人に優しくありたい。」と、考えているからです。
何故、人は優しさを求めるのでしょうか?当たり前じゃないか?そうです。当然ですね。
優しくすることで、自分自身も幸せな気持ちになり、優しくされた相手ももちろん幸せを感じます。
実は、「優しさ」という気持ちは「自分自身に向けた欲」であり、その欲がない人はいません。
(関連:すすんで優しくされよう!素直に思いやりを受ける優しさ)
相手が求めていない優しさである場合は、「お節介」になってしまう場合もあります。
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優しさを求める脳
「優しさとは何か?」別の角度から考えてみましょう。
どうして人は、優しくされたり、誰かに優しくする事で満足感を得られるのか、考えたことはありますか?
人の思考の全ては、脳が支配しています。何かを食べて美味しいと感じるのも、楽しい・嬉しい・悲しい気持ちなども、全て脳で感じています。
そして、誰かに優しくされた時や良い事を行った時、多幸感を感じるのも「欲」すなわち「脳」が満たされた状態となるのです。
脳は、常にそういった満たされた状態を望んでいます。全ての欲の根源は、脳が求める事によるものなのです。
仲の良い同僚を無視する優しさとは?
ある会社の話です。会社の職員のうち8割は女性で、合計20数名程。
女が多い職場では、常にエゴがぶつかり合い、色々と厄介な問題が勃発します。社内は大きく分けてAさんグループとBさんグループの2つの派閥に分かれていました。
それぞれのグループは、表向きでは仲良くしているものの、絶えず火花が飛び散る有様。
当然、その中でもどちらにも属さない人もいました。それが、入社して間もないXさんと、プライベートでも仲の良いZさんです。
派閥グループの対立
Aさんグループでは、Xさんが敵であるBさんグループに所属していると思い込んでいました。ある日その誤解から、社内で大きな揉め事が起きました。
Xさんは、人間関係の汚さ・会社をより良くしていこうという気持ちのない人たちにうんざりし、「私のいる場所ではない。」と職場を去ろうと考えました。
Xさんは揉めている内容も退職する事も、Zさんには語っていませんでした。一方、Zさんは入社して間もない上、ほとんど席を外している役職のせいもあり、あまり会社の内情は知りませんでした。
Zさんは、自分に自信を持てない性分。常に人の顔色を見る性格で、とてもナイーブな人でした。揉め事は、そんなZさんがようやく社員全員と上手く馴染んできたな、というタイミングでの出来事でした。
仲の良い友達に嫌われた?
Xさんは退職しようと決めた日を期に、Zさんとも他の社員とも殆ど話さなくなりました。ZさんはXさんに無視されていると感じ、「自分が何か悪いことをしてしまったのか?」と、日々悩みました。
- 何故あまり話さないのか?
- 何故無視しているような態度を取るのか?
嫌われたのかどうかも怖くて何も聞けないまま、日々が過ぎていきました。でも、変わらず他の社員とは上手くやっている状態です。
真実の優しさの本当の形
XさんがZさんに話しかけなくなった真相は、実はXさんの真の優しさだったのです。
Xさんの考えはこうでした。
AさんグループにもBさんグループにも属さないZさんは、皆に好かれているし、自分が辞めた後もうまくやっていくだろう。
もしも、自分に敵対心を向けているAさんグループが、自分とZさんが仲が良い事を知ってしまったら・・・BさんグループとZさんも繋がっていると考え、「せっかく馴染んだ職場にいる事ができなくなってしまうかも知れない。」
それで自身が辞めるまでの1か月間、Zさんとは必要以上に話さないようにしていたのです。
何故なら訳を全て話してしまうと、優しいZさんは必ずXさんを気にかけ、かばうと考えたからです。
- Xさんは、会社を辞めるまでの期間、業務以外の事は誰とも話さず、辛い日々を送ったでしょう。
- 仲の良いZさんに愚痴を吐き出してしまいたかったでしょう。
- Zさんに対し、そっけない態度をとるのも、辛かったでしょう。
しかしXさんは言いました。
「Zさんを傷つけるような態度をするのは、本当に辛かった。でも、ほぼ外に出ている彼女がやっと職場に馴染んだのに、巻き込みたくなかった。」
真実の優しさとは何か?
真実の優しさとはいったい何でしょうか?
優しさを示す行動は、自分が満足するため?誰かに満足してもらいたいため?その行動で得られる満足感のどこに重点を置くのかで、真の優しさかそうでないかが決まってきます。
上述したXさんは、自身が辛い想いをしてでも、Zさんを守りたかったのです。何も言わず、何の見返りも求めない。それが真の優しさです。
「優しさで、~してあげたのに。」という見返りを求める優しさは、自分自身だけが満足を得たいための優しさです。
優しさとは少し異なりますが、破局になるカップル間で、よく聞くセリフがあるでしょう。「私はこれだけあなたの事を愛したのに・・・。」この裏側には、「愛してあげたのに。」=「今まで優しくしてあげたのに。」という感情が隠されているのです。
でもそれは、自分が愛したかった欲望の方が強いはずです。もちろん、本人はそういった意識などありませんが。本当に悲しみに苛まれているのでしょう。
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でも、愛されたいだけのために愛したのなら、それは真の愛とは言えません。
有名人が行う、被災地に対してする多額な寄付にも近いものがあります。本当の優しさだけで行うのなら、公に公表や宣伝もせず無名で寄付をする事もできるはずです。
感謝されたいためだけに優しくしたのなら、それも真の優しさとは言えないのです。
ただ、本当の優しさとして、自身の欲を全て抑える事ができる人など、この世には一人だって存在しません。
- 誰かに優しくしたら、「ありがとう。」という言葉が欲しくなる。
- 自分の優しさの気持ち・その気持ちから取った行動をわかって欲しい。
愛も優しさも、そういった自己愛あってこそ、生まれる感情です。
自分も相手も、「幸せでありたい」という欲を、どう共存させるかによって、真の優しさや無償の愛に、近づくことができるでしょう。
(関連:すすんで優しくされよう!素直に思いやりを受ける優しさ)