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舞台刀剣乱舞 虚伝 燃ゆる本能寺の初演と再演を比較して考察しよう!
今回は、刀ステ・刀剣乱舞の初演と再演を見比べたうえでの考察を行っていきたいと思います。
第一回では三日月と蘭丸の役作りが異なる点に触れました。
改めて初演映像と再演映像を見比べてみて感じた、違和感や役作りについての意味を考えていきたいと思います。
三日月宗近は初演とは違う刀?
三日月宗近の違和感について
初演の三日月は私が絶賛していた通り、ゲームのイメージに近い(私の中のイメージに近い)ものでした。
柔和、優しさ、寛大さ、大らかさを前提に、カンストしている近侍三日月宗近です。
今回の三日月について、第一回で漢度がアップしてると書いていましたが、それ以上に性格が異なるように感じます。
わかりやすく声色が異なるだけでなく、山姥切を導く上で、柔らかい表現だけではなくなっていました。
これはつまり、初演と再演の三日月宗近は別の刀であるという見方ができると思うんです。
山姥切と三日月のシーンを比べてみよう
山姥切りが仲間たちを危険に晒したと苦悩する所があります。初演と再演でのセリフを比べてみましょう。
初演「帰ってくることが出来たではないか」
再演「帰ってくることが出来たと聞いている」
このように、再演では伝聞になっていました。
再演だからセリフや言い回しを変えてきたのかなと、ライビュ観劇のときはあまり気にしていませんでした。
ですが、配信を改めて観てみるとその異質さがとても目立つんです。
三日月宗近が言ったあのセリフは伏線か?
実は、初演のときから不穏だと言われていたセリフがあります。三日月が山姥切りへ言ったセリフですね。
「俺がいなくなっても本丸を任せられる」
それほどまでに山姥切が成長したことを認めている、つまり次回の公演は三日月は出ない、など色々考えていました。
ですが、再演の三日月を見てこれか!!と思ったのです。
つまり、初演の三日月は自分が本丸から消えることを予知していたんですよね。
初演の時点で、三日月はこの本丸が何かしらの変事に巻き込まれていると感じていた。
しかし、それをどうにかしようと思っていたが防ぎきれず、再演では消えてしまったのかなと考えています。
過去の改変が防ぎきれていない?
分かりやすかったのが不動の回想シーン、そして蘭丸の本能寺でのシーンです。
不動の回想シーン
第一回でも書いてますが、不動を賜った際の言葉が真反対です。
初演「上様からこの刀を拝領したのです!」
再演「形見分けのようで不安なのです」
初演では嬉しそうだったのが、再演では不安そうになっていますね。
後生大事になされよ、という明智の表情も異なるように思えます。
初演の蘭丸は、不動行光を明智に触られるのをとっさに嫌がったように見えたんですよね。なんで触るの?みたいな。でも、再演ではむしろ明智のほうが、触れてはいけないように手を引きます。
この蘭丸と明智の場面は、不動行光の回想シーン。自分がどのように蘭丸に下げ渡されたのかを語る場面ですが、再演では不動の中の記憶が変わっていることになります。
しかも、不動はそれに対してなんの違和感も持ってないんですよね。嬉しそうに自分を見ていた蘭丸ではない、不安そうな蘭丸が不動にとっての蘭丸になっている。
それってつまり、過去が変わっているということになりませんか?
蘭丸の本能寺でのシーン
そしてもう一つ、蘭丸についてです。
椿の花のくだりで、初演では椿の花を嫌いではないと言っていました。それが、再演ではあまり好きではありませんに変わっています。
そして、決定的なのが本能寺にて明智に襲われた際の蘭丸のセリフ。
「今度こそ上様をお守りするのだ!」
再演ではこのように変わっていました。
この、「今度こそ」というセリフで鳥肌がたちました。
これはつまり、蘭丸が少くとも二度目の本能寺を迎えたことになりますよね。
不動を賜ったのことによって形見分けではと心配していること。そして椿のシーンでのセリフや明智から逃げるように去ったこと。
これらはすべて、今度こそというセリフに繋がるのではないのでしょうか。
次回の三日月はどっちだ!
気になるのは、新作【暁の独眼竜】で三日月宗近が、初演と再演どちらの三日月で演じられるのかということです。
新作で初演の三日月が演じられれば、再演では演出として演じ分けを行っていたということ。つまり初演と再演が鏡合わせになっているのだと思います。
ただ、それを過去が改変されている理由にするには弱い気がするんですよね。
そして、もし新作が今回の三日月で演じられた場合です。その場合、本能寺で歴史の改変を防ぎ切れていないまま次の任務についていることになります。
私は、この舞台は長く続いていくコンテンツになると考えています。
そうすると、巡り巡って、初演の三日月での本能寺に戻る可能性もあると思いませんか?
もちろん、新作が初演の三日月で演じられた場合でも、同じように戻る可能性は十分あると考えています。
今回の任務は、山姥切のセリフを借りるとすれば「表向きは歴史通りになった」ということです。任務的には何も問題はないんですよね。
大きな流れが歴史通りであれば、小さな出来事は変わっていても気にしないということ。
ただ、蘭丸の「今度こそ」のセリフから考えて、ただの演出とは考えにくいと思います。
個人的にも、不動を賜ったときの蘭丸は初演のほうが好きなんです。嬉しそうな笑顔が忘れられないし、不動行光にもその蘭丸を過去としていてほしいです。
ループ説?平行線説?刀ステ今後の展開
今回の再演では、ループ説や平行線説など色々な考察がファンによって繰り広げられています。
私は、ループを経て、それぞれの公演がすべて繋がる任務になるのでは、と思っています。
ループを推したいのは、鏡合わせになっていることからですね。合わせ鏡は無限に続くように見えるので、それが繰り返しを表しているのではないでしょうか。
そして、この考察を確かめるためにも、新作での三日月宗近には注目してみたいと思います。