
親子の共依存に気づき、子どもを社交的にするために『母親の私が変わらなければいけない!』と気づいた私は、ママ友作りをするためにママ友の輪の中に入っていきました。
(いきさつはこちら:【ママだけ大好き!】親と子どもの共依存?一緒に成長していこう!)
でも、ママ友のこわさ・人間のこわさを知ってしまいました。
【ママ友】がこわい!
ママ友という存在は子育てをする上で、とてもありがたい存在と言えるでしょう。
(関連:【ママ友】っていったい何?どういう存在?いつからある言葉なの?)
しかし【ママ友】というソフトな言葉に、ダマされてはいけません。
【ママ友】がこわい!【女】がこわい!【人間】がこわい!
こわいという、それ以外の言葉では表しようがありません。
昔、私はママ友作りに精を出し、多くのママ友と交流しました。でも最終的には【ママ友】に対する自分の根本的な考え方は、間違っていなかったのだと思うできごとがあったのです。
【ママ友】のテンションがこわい!
私は、もともと冷めている部分があるのか、【ママ友】のキャピキャピした言動がこわくて、とても苦手でした。
それに皆で集まれば、女性独特とも言えるキャーキャー話すウワサ話も大嫌いでした。それに、ママ友たちはこわいほどテンションが高すぎるのです。
でも、女というものはそういうものです。
ママ友が集まれば、だれかの陰口・夫の悪口に花を咲かせます。そして、そういった負の話題は、なぜかとても盛り上がります。
もちろん女だけでなく、人間はみな同様です。ネットの世界でもそうですね。炎上するのはなぜか?
悪口を言うことで、脳が刺激されるからです。
(参考:脳が大好物の刺激。切っても切れない欲との関係性)
いいことをするよりも悪いことの方が簡単に覚えられ、欲求が増幅してしまうのが人間です。世の中、良い行動よりも悪い行動の方が多いのはそのせいです。
私は、ママ友の中でもかなり浮いていたに違いありません。
しかし、ママ友を作ったことで息子もお友達と遊ぶようになり、良い点もありました。
そしてママ友を作ってから数年後、私は離婚することになったのです。
子どもを自宅で一人にするのがこわくて
息子が年長のころ。私は子どもを自宅で一人にしたり、一人で帰宅させたりするのがどうしてもこわいと思っていました。それなら、自宅にいられるよう自分で事業を立ち上げようと考え、子ども服の製造卸を始めたのです。
家でミシンを走らせて食べていけたなら、自分がこわいと感じることも、子どもに寂しい思いをさせることもないと考えたからです。
資金は全くなかったので、自宅でミシンとパソコンを覚えホームページを立ち上げて販売することにしました。
分厚いデニムを縫うとき、針が折れないかと恐る恐るながら、必死で練習しました。
約1年後、店舗からの問い合わせが増加し、晴れて個人販売から卸販売へ進歩。
カタログ製作なども行い、ネットの一部の場所では『デザインが最高!』『縫製がどこのブランドよりも良い!』と口コミが広がり、有名ブランドと肩を並べて名前が挙げられるほどに成長しました。
【ママ友】の本音がこわい
公園で、ママ友と会話していると当然「いったい何の仕事をしているのか?」という話にもなります。
ある日、私が子ども服製造卸をしていると知ったママ友たちは、口をそろえて言いました。
「一回見てみたいな~。」
「絶対買うよ!だって〇〇ママって、センスいいもんね!」
「ねぇねぇ。今度見せてくれない?注文したいから。」
私は、ママ友に自分の商品を営業することはしたくなかったのでかなり渋りました。しかし、あまりにもリクエストがあったため、公園へカタログを持っていきました。
またママ友みんなが口をそろえて、例のこわいテンションではしゃぎました。
「かわいい~!すごいねぇ!」
「これって、〇〇ママがデザインしてるの?かっこいい!」
「スゴイ才能だね!自分で縫ってるんだよね!?」
「絶対買うね~!」
それから数日後、あるママ友からメールが届きました。
目が点になった瞬間です。こわさのあまり、身震いしてしまいました。そのママ友は、間違えて私にメールを送ってしまったのです。
押し付け?いえ。持ってきてと言ったのは、あなたですが?
その時、そのママ友たちの言葉を信じてしまった自分の愚かさに反省。
- 外面の良さにダマされるな
- 本音と建て前
- 社交辞令
このような言葉が、頭の中を巡りました。本当に人間はこわいものです。
人間の中でも、とくに良い外面で塗り固めた【ママ友】には、壮絶なこわさがあります。
Aさんのところへ行っては、Bさんの悪口を言い・Bさんのところへ行っては、Aさんの悪口を言う。
私がもっともママ友を嫌っていたのは、女はとくに、こんな恐ろしい面があると知っていたからです。
一方、そのママ友の中で一番仲が良かったママさんは、私の販売する製品を買ってくださいました。彼女とは今でも友達付き合いがあります。
ママ友から嫌われていただけ?
しかし私は、もともと公園では白い目で見られていた上、テンションが低く浮いた存在。
それに学生時代から『黙っていたらこわい』と言われ続け、息子にすら性格が悪そうに見えると言われてしまう始末。ママ友たちに最初から嫌われていた可能性もおおいに考えられます。
ですが、ママ友たちが求めていないことをわざわざ口に出し、持ち上げるようなことをなぜ言うのか?それが不思議でなりません。
嫌だったら、なぜ必要ないことまで話すのか?
社交辞令とは、そういうものなのでしょうか。
【ママ友】は友達ではない
その後、息子が小学校・中学校に上がった後も、似たようなことがありました。
授業参観に行っても、子どものために来てるのやら、自分がママ友と話すために来ているのやらわからないような、着飾った母親であふれかえる廊下。
教室では静かに授業が行われているのにもかかわらず騒がしい廊下と、教室に入っている親はたったの数人という、驚くべき光景です。
帰り際、できるだけ【ママ友】=【同級生】との交流を避けるようにしている私に声がかかりました。
「〇〇ママって、お酒飲めるの?」と聞かれたので「飲むよ。」と答えると、ある日ママ友が集まる会に呼んでくれました。
ところが参加してみると、そのとき来ていなかったママ友のグループの中でも中心人物であるママの悪口が始まったのです。
このように、【ママ友】という良いイメージの言葉の裏側では、恐ろしい人間の内面が隠されています。
そうなると【ママ友】とは、いてくれると心強くいいものなのか?こわいだけなのか?【ママ友】を作った方が、いいと断言はできません。
個人的には、人間不信と言うのは大げさかもしれませんが、やはり【ママ友】は必要ないと思っています。
そして【ママ友】は【友達】であると考えるべきではないでしょう。
(関連:公園や幼稚園でママ友がいないから寂しい。孤独はメリットがない?)