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中村昌枝さんという80歳の女性が他界したというニュースが報道されました。
死因は脳出血。
でも、ただの老女が病気で死去した位で、新聞やテレビが取り上げるはずありません。
しかも、年齢的に言っても、申し訳ありませんが、決して早すぎる死だったとは言えないでしょう。

ではでは、何故この話題がニュースになったのか?
それは、亡くなった中村さんの旧姓が川西さんだったから!!
そう、今回お亡くなりになった中村昌枝さんは、嘗て東洋の魔女のキャプテンを勤めていた川西昌枝さんで、遙か50年近く前に日本に栄光をもたらした立役者の代表格だったのです。

東洋の魔女と聞いて、ごく希に魔界軍団の一人だった女子プロレスラーを思い浮かべられる方もいらっしゃるかとは思いますが、やはり多くの人が思い出すのが1964年の東京オリンピックで一世風靡した全日本女子バレーボールチーム!!
5試合で負けなしの驚異の強さを見せつけ、見事金メダルに輝いた実績は、未だ焦る事のない正真正銘の金色に輝く栄光です。

でも、実はあの「東洋の魔女」という愛称は、チーム全体のニックネームではなく、当時の監督、大松博文氏に付けられたニックネームだったという事は、案外と知られていないところでしょう。
彼は当初大阪にあった実業団チーム、日紡貝塚の女子バレーボール部を率いて欧州遠征に出発!
そこで、なんと前人未踏の22連勝を記録させ、翌年今のロシアに当たるソ連で開かれた世界選手権で、地元ソビエト連邦チームを破り、見事世界一に輝かせます。

そして、この強い強い日紡貝塚をベースに組まれたのが東京五輪の全日本女子バレーボールチームだったんですねぇ!!
しかも、いつしかそのチーム全体を指すようになった「東洋の魔女」という呼称ですが、日本のファンによって付けられたものではないんです。
最初に類似の異名を示したのは、最大のライバル国だったソ連で、1961年の欧州遠征の際、その功績を称え、”東洋の魔法使い”、あるいは”東洋の台風”と報じました。

それが東洋の魔女になったのは、言うまでもなく、東京五輪の時だった訳ですが、それも、決勝戦の実況中継をしていた解説者が、何度となく”TheOrientalWitches!(オリエンタルウィッチ!)”と叫んだからで、後にこの歓声を直訳した愛称「東洋の魔女」が多くの人々の記憶と記録に残ったという事だったんですね。

奇しくも二度目の東京五輪の開催決定を見届けるかのように高いされた中村、いや川西キャプテン!!
あの世で願うのは、平成版東洋の魔女の誕生と活躍ではないでしょうか。

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